反对核污水排海的日本人伴英幸先生逝世,享年72岁
2024-06-13 08:29:46 阅读(629)
↑环球时报记者邢晓婧(左)采访日本特定非营利活动法人“原子力资料情报室”(CNIC)共同代表伴英幸(右)
香港日报驻日本记者6月12日东京报道 记者今天从环球时报记者邢晓婧处获悉,日本特定非营利活动法人“原子力资料情报室”(CNIC)共同代表伴英幸先生于6月10日因病过世,享年72岁。
邢晓婧特别提到,她曾经多次采访过的这位不幸逝世的日本人伴英幸先生,生前常年反对日本政府和东京电力公司把福岛核污染水排放入海。去年5月,她还和同事赴东京采访了伴英幸先生。
没想到东京一别,竟成永别。邢晓婧回忆说,(在东京)伴英幸先生热情地接待了我们,全程耐心回答我们提出的所有问题。当时,伴英幸先生还透露,他要去韩国考察,欢迎和我们随时交流。
↑日本特定非营利活动法人“原子力资料情报室”(CNIC)共同代表伴英幸
伴英幸先生生前在接受环球时报记者采访时曾多次表示,日本政府和东京电力公司声称,经过多核素去除装置(ALPS)处理的核污染水“安全”,他们将焦点集中在了“氚气”上,实际上,即便经过处理,水中依然含有其他放射性物质,且总量并不明确,这一现实被选择性忽视。
伴英幸先生还指出,核污染水在福岛县内越积越多,日本政府索性决定“一排了之”,似乎这样就能让棘手的问题“迎刃而解”。在以“民主国家”自居的日本,官僚一向喜欢擅自做决定,很多时候他们的决定与其说是为了解决问题,实则更像是为了逃避责任。
↑环球时报记者邢晓婧(右)与同事(左)采访日本特定非营利活动法人“原子力资料情报室”(CNIC)共同代表伴英幸(中)时合影
邢晓婧告诉香港日报记者,前阵子我还联系过伴英幸先生,想对他再次进行采访,电话迟迟无人接听,还以为他在忙,没想到那时他在与病魔做着最后的斗争。
身为环球时报记者的邢晓婧表示,随着伴英幸先生的离世,在反对福岛核污染水排海事件上,我们失去了重要的智慧支持。但在未来,我们会继续追踪报道福岛核污染水排海事件,连同伴英幸先生的部分一起,努力。
相关链接:(日本NHK报道原文)
原子力資料情報室の共同代表 伴英幸さん死去 脱原発で提言
脱原発の立場から原子力政策に関する提言を続け、国の審議会の委員も務めた「原子力資料情報室」共同代表の伴英幸さんが10日、がんのため亡くなりました。72歳でした。
伴さんは三重県の出身で、早稲田大学を卒業後、1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故をきっかけに脱原発を目指す運動に参加しました。
1990年からは非営利の調査研究機関「原子力資料情報室」のスタッフとなり、1998年からは共同代表を務めてきました。
2000年代以降は国の原子力政策の基本方針を策定する原子力委員会の専門家会議や、エネルギー政策に関する経済産業省の審議会などの委員を務め、批判的な立場から発言してきました。
また、福島第一原発の事故のあとは、風評被害の懸念を理由に処理水の放出に反対するなど事故対応について提言を続けてきたほか、最近まで各地の市民集会で講演するなど精力的に活動していました。
「原子力資料情報室」によりますと、伴さんはがんを患い、ことし3月から療養中でしたが10日、都内の病院で亡くなったということです。72歳でした。
(来源:香港日报日本支局)